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目指すのはフルフォード先生のような、どんな患者さんにでも対応できる先生

成瀬カイロプラクティックセンター

上野 幸雄 先生



江崎:
上野先生が、この業界へ入られたきっかけは何ですか?

上野先生(以下敬称略):きっかけは、22歳の時にあった交通事故でした。今から30年近く前のことですが、トラックとぶつかって128針縫う怪我をして「もう一生歩けないだろう」と言われたんです。でも、色々な人に関わってもらって、手術を4回やって歩けるようになりました。僕は、事故の前はフリーターみたいなことをやってたんですが、退院したら、その生活に戻るのではなく「何か世間に恩返しをしなきゃ」と思ったんです。そんな時、リハビリ中に寄った本屋で、カイロプラクティックの学校案内が目に入って。その時は、カイロのことは全く知らなかったんですが、アメリカでは手技療法として世間の役にたっていると知って関心を持ちました。それで、いくつか学校見学に行って入学しました。
だけど「何とかなるだろう!」と勢いで学校に入ったら、覚えたり学ばなきゃならないことが、驚くほどたくさんありました。当時、僕は、生活のために昼間はトラック運転手をやって、夕方から夜間部の学校へ行ってたので大変なこともあったんですけど、いろんな人に話や愚痴もきいてもらったり、励まされたりしてもらいました。学生の時代にそういう人達に出会えたのは、本当に幸運だったと思います。

江崎:学校を卒業されてからは、どこかで修行されたんですか?

上野:当時、広尾にいらした小倉先生(広尾カイロプラクティックオフィス)の所にお世話になりました。学生の時、小倉先生のセミナーを受講したら「すごい先生がいるんだな!」と思って。それで、先生に「弟子にしてください」と直談判したらOKしてくださったので、修行させていただきました。

江崎:修行の期間はどれくらいでしたか?

上野:10ヶ月くらいです。

江崎:わりと短期間のように思いますが、ご自身で開業したいという強い思いがあったのでしょうか?

上野:学校へ入る時点で「いつかは自分でやりたい」という気持ちはありました。だから、そのまま逆算して「まずは卒業して、卒業したらこのくらい修行して、タイミングをみて開業しよう」という流れで。僕の性格だと、修行期間を長くすると開業へのモチベーションが下がっちゃう気がしたんでね。
開業からしばらく後に、知人が教えてくれたことですが「小倉先生が『僕の弟子にすごい短期間で開業した人がいる。いつまでも人の下で働こうって人よりも、そういう熱い思いを持っている人の方が、意外とうまく行くんじゃないか』とおっしゃってたけど、上野先生のことを言ってるんじゃないの?」と。小倉先生は、僕の前では厳しい人だったんですが、影ではそんな風に言ってくれてたんだなと思いました。

江崎:表現が良くないかもしれませんが…サラリーマン的な気持ちで雇われ治療家でやりたいと考える人も少なくないのに、上野先生のような方は、わりと珍しい存在ですね。院は、開業された時から、この場所(成瀬)ですか?この土地に何かゆかりがあるのでしょうか。

上野:それまで僕が勤めてた広尾は閑静な所なんですが、隣には渋谷という大繁華街があって、そういう繁華街の隣の住宅街の環境っていいなと思っていたんです。僕は、相模原市の出身なので、相模原から通える範囲で広尾のようなところを探して、この成瀬なら町田の繁華街から近いし、相模原のお隣なので良いなと思ったんです。



江崎:開業資金は、どうされたんですか?

上野:公庫から、750万借り入れました。当時は、とにかく熱く前のめりでしたから、公庫の審査に行った時に「大丈夫?」と聞かれても、根拠のない「大丈夫!」を連発して。(笑)でも、開業当日に急に冷静になって「もしかして、すごいことしちゃったのかも」って、ゾッとしましたよ。

江崎:顧客がいない中、20代後半で750万の借金を背負って開業するというのは、なかなか大変なことですね。

上野:そうなんですよ。小倉先生の院で、毎日たくさん患者さんがいらしてる中にいて「僕は、これだけたくさんの人に親しまれるんだ」と錯覚しちゃって。でも、いざ開業したら、誰も“上野幸雄”を知らないわけですよ。(笑)開業してから1週間後くらいに、小倉先生から「どう、大丈夫?」と心配の電話をいただきました。「全然ダメです。どうしたら良いんでしょう?」と言ったら、小倉先生は「だって、誰も上野幸雄を知らない所だろう?まずは、その存在をアピールしなきゃ。」とおっしゃって。その時、「今までの患者さんは、小倉先生の看板の元に、来てくれてた人なんだ」と気づきました。僕は、治療に関しての勉強ばかりを夢中でしていて、どうやったら地域の人に知ってもらえるのかとかは、全く考えないまま開業してしまったので、どうしたら良いのかわからなくて。

江崎:小倉先生から、アドバイスはあったんですか?

上野:当時は、やはり「チラシの配布が一番良いのではなないか」と。ポスティングなり、駅前に立って手渡しするなりの活動ですね。「地道だけど、必ずそこで発見もあるから」と言われて始めたんです。

江崎:最初の三ヶ月くらいは、苦しい時期だったのではないですか?

上野:そうですね、患者さんが一人も来ない日もあったし、苦しかったです。宣伝の効果を感じられるまでは、半年以上かかりました。

江崎:その間、廃業が頭を過ぎるようなこともありましたか?

上野:ありました。本当に「僕、ここで首を吊った方が良いんじゃないか?」と思うくらい。公庫からの借り入れは、実家の土地と建物を担保にさせてもらったので「ひよっとしたら、先祖から守ってきた土地を俺の代で手放すことになるのかも」とか、そういうことばかりを考えちゃって。

江崎:収益のマイナス分を、何で補てんされたんですか?

上野:それまでは治療をベースに考えてたんですけど、先輩から「学んできた身体のことへの知識を、もっと他の分野でも活かしたらどう?」と言われたんです。それは何かと言うと美容です。「美容と健康は兄弟みたいなものなんだから、そういう発想をしてみたら?例えば、ダイエットとかで困っている人の窓口もあっても良いんじゃないか」と言われて。それで、思いきって「引き締めコース」というのも作ってみたんですよ。そうしたら、これが意外にニーズがあって、すごく助かりました。

江崎:20数年前だと美容系のコースは、まだ“はしり”ですね。その先輩は、すばらしいアドバイスをされたと思います。持っている知識をどこに活かすのかが、鍵となりますね。こだわりが強いことが仇になって、道を狭めていらっしゃる方もいらっしゃいますから。院も会社経営と同じで、継続してやって行くことが大事です。それ一本でやって継続して行くのが難しいような場合は、別の方法やメニューを考えられないと厳しくなりますね。だけど、なかなかそういう柔軟な発想が持てないために、苦労されている先生も多いのではないかと思います。

上野:僕は、美容系を初めて何とか経営がうまく行くようになったけど、それでも心の1/5くらいは「やっぱりコアの部分は残しておきたい」という自信のない部分はありました。そんな時、ジェイコブ先生のセミナーに出たら、彼が「B.J.パーマーの治療院を見せてあげる」と、運動器具がたくさん並んだスライド写真を見せてくれたんです。僕の中では“B.J.パーマーはコアの人”という印象だったんですが、あれを見た時に「なんだよ、俺と変わらないいじゃないか!」って、すごい力が抜けたんですよね。ああいうのが必要な人もたくさんいるよなと思いました。

江崎:あまり知られてないですが、B.J.パーマー氏は、かなり革新的なことをいろいろとされていたようですね。上野先生は、たくさんのセミナーに出て視野がひらけて、いろいろな施術法にご興味を持たれて行ったのでしょうか?

上野:そうですね、やっぱり引き出しを増やして行きたいなというのもあって。実際に現場でも、新患さんを10人診させてもらった場合、一人二人は今の自分がもっているもの以外の対象の人なような気がします。「この人の対象はのものは他にあるんじゃないか?」と。



江崎:やっぱり、セミナーなどに出られると新しい発見がありますか?

上野:ありますね。セミナーで話を聴いてると「あの患者さんは、この例に当てはまるかな」とか、来なくなってしまった患者さんを思い出して「あの人は、これだったのかも」とか考えています。

江崎:患者さんが来なくなったことを「治ってよかった」と捉える先生もいると思いますが、上野先生は「もしかして、自分の施術がまずかったのかもしれない」と考えるのですね。

上野:そうですね、そういう人ほど記憶に残るんです。それで、何か足りないパズルを埋めたいというような思いで学んでいるのかもしれません。この間、夜尿症の10才の女の子をを診たんですけど、施術したらうまく行って、お母さんがすごく喜んでくれて。「あれからピタッと夜尿症が止まりました。登校を嫌がってたのに、毎日学校へ行くようになりましたし、表現も豊かになりました。」と。僕はつい「5年前の僕なら治せなかったかもしれません」と言ったんですけど。(笑)



江崎:それは、お母さんもお子さんも喜ばれていたでしょうね。話は変わりますが、先生は施術料金の値上げは考えていますか?

上野:開業当初と同じなので、本当は上げたいんですけどね。タイミングを失ってしまって。同業者の人には「この値段は安くない?」とよく言われます。消費税が10%に上がった時には検討しようと思ってますが。

江崎:この院内は、雲をモチーフにした画が多く飾られていますが、こういう柔らかい感じの雰囲気づくりは、上野先生がされているのですか?

上野:はい。患者さんの気持ちが明るくなるように、外が台風でも雪でも、この中は青空というふうなイメージにしたくて。

江崎:女性が入りやすい雰囲気ですよね。



江崎:ちなみに患者さんの比率は、ダイエットメニューとかもやられている関係で、女性が多いのでしょうか?

上野:そうですね、冬場は7:3くらいの割合で、女性が多いですね。

江崎:女性の方がいらっしゃる中で、体に触れる際とかに、何か配慮されていることはありますか?今、業界内でも、そういったことでトラブルが出るケースもあるようですが。

上野:なるべくオープンにしてやってます。カーテンを閉めないでやったり。でもね、以前は、受付に女性スタッフもいたんですけど、その人がやめてしまってからある時、患者さんに「今、誰かいます?」と聞かれてことがあるんです。それで「今は僕だけですよ」と言うと「良かった。他の人が聞いていないなら…」と、色々な秘密ごとまで話してくれるようになったんです。こういう形で、コミュニケーションがとれるようになることもあるんだなぁと思いました。

江崎:患者さんと先生との信頼関係が構築されているんですね。上野先生は、勉強会もたくさんされてますけど、治療がお忙しい中、熱心にそれをされる理由はなんですか?

上野:教えて欲しいという声やリクエストがあるので、それに応えようと思っていたら、こういう形になってきました。今もやってて、4人で1クラスにしているんですけど、3クラスあります。クラスによっては、全部一般の人だったり、クラスによっては臨床をやってる人たちだったり、レベル分けをしてやっています。

江崎:今、本当にカイロを学ぶ場が少なくなってきていますので、残念ですよね。中には「資格につられて柔道整復師になったけど何をしていいかわからなくて、カイロの学校へ行く」という方もいらっしゃるようですが、先生は今の現状をどう思われます?

上野:僕は、アジャストメントは、教えてないんです。ちゃんとした学校で責任のある講師から、有効だけどリスクもあることも含めてたくさんのことを学ばなきゃいけないと思っているので、ここでは教えないんです。それを習いたいという人には、学校を勧めてます。そういう線引きはあって良いと思うし、カイロは業界団体で盛り上げていかないといけないと思いますし。

江崎:今、先生はバイオダイナミクスとかもやられているんですね。バイオダイナミックスは、適応範囲はかなり広いですか?

上野:広いと思います。とくに外傷性には。僕自身、さっき言ったように、昔、交通事故をやったんですが、バイオのトム・シェイヴァーという講師の方に「その外傷トラウマの衝撃が中にこもっている」と言われました。それで、バイオで中のショックを解放してくれたんですが、そうしたら、すごい楽になって。例えば、人間の体を鉛筆として考えると「鉛筆の芯の部分が引っ張られていたら、体は戻るように引っ張られるから、芯の部分の緊張を緩ませることをやるといいよ」と言われて、「あぁ、そういうことなのか」と感激したんですよね。

江崎:あれはミッドラインがずれているというか、元に戻すんですよね。バイオってフェーズ9くらいまであるんですよね。

上野:そうですね、僕は、やっと折り返しで4が終わったばっかなんですけど。

江崎:臨床される以上、先生は、これからもずっとテクニックを学ばれて行くおつもりなんですね。

上野:そうですね、僕の目指すゴールは、オステオパシーのフルフォード先生のように、多動性の方とかも治せるようになることです。あとは、自閉症の方とかもね。まだまだ、遠い道のりではありますが。

江崎:先生のところに自閉症のお子さんが、いらっしゃるんですか?

上野:以前、障害の子のクラスの担任をしている先生から「上野先生、ボランティアで、月に1回で来てもらえませんか?」と頼まれて、2年間、障害の子を集めて体操とかをやっていたんですよ。そういう中で、クラニアルをやらせてもらってたんですけど、お母さんにも教えてあげると「いつもより落ち着いている」とか「よく寝れてる」という話を聞いたので、フルフォード先生ようにの普通学級に戻せるようなところの領域は、この延長線上にあるのかなと思いました。でも、まだ当時はそこまで知識がなくて。これからもっと経験を積んだら、そういう風に普通学級に戻せるくらいまでの力を持ちたいなと。

江崎:すごいですね。今は、保育園とかで、子どもが、ちょっと人から外れた行動をすると、すぐに「もしかして発達障害じゃないですか?療育施設へ行ってください」という流れになることが多いみたいで。発達障害と言われた子のお母さんは、悩んでパニックになりますし、治療法が全く確率されてないので、みなさん途方に暮れて。「これって意味があるのかな?」というような療育で、その場をしのいでいる感じですね。でも、確かに何か根本的に治せるようなきっかけができると、すごく日本というか世界で必要な存在になれるのかなと感じますよね。

上野:手技療法も、たぶん一般的に知られているのは、頭痛・肩こり・腰痛という程度のところですから、「え、そういう人も診てもらえるの?」というくらいの範囲まで認知してもらえたらいいなと思います。

江崎:本当に可能性が広がりますよね。先生の場合だったら、美容からそういう発達のことまでとなると、本当に幅広く診ていただけるわけですから、もう成瀬にはなくてはならない存在になってらっしゃるかもしれませんね。

上野:いやいや、まだね、“3合目”くらいですよ。(笑)

江崎:治療の先は長いですよね。オステオパシーのセミナーも、非常に高額なのに、皆さんがあれだけ熱心に行かれるのはすごいなと、いつも思っています。
ちなみに、先生、公庫から借りたお金は、どれくらいで完済されたんですか?

上野:
5年で返済しました。必死でしたよ、毎日。

江崎:すごいですね、売り上げは右肩上がりになったのでしょうね。今はどうですか?

上野:今はね、売り上げは当時よりは全然ないんですけど。でも満足はしています。借金を背負っていた5年間は、とにかくがむしゃらにこなしていたという感じでしたが、返済が終わってからは、今までいろんなところで学んだものを、落ち着いて一つ一つサービスできるというか…より患者さんと向き合いながらできていることに、充実を感じてます。

江崎:それは、ある意味、理想形ですね。

上野:そうですね。でもやっぱり、今の自分にもきっと飽きる日というか満足しない日が来て、また慌ただしい時を好む時代が来るんだろうなと、ちょっと思っているんですよね。

江崎:じゃあ、さらに経験を積まれて、この院が30周年を迎える時には、上野先生は、憧れのフルフォード先生のようになっているかもしれませんね。

上野:そうなっているようにしたいですね。(笑)

江崎:本日は、どうもありがとうございました。

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